dods’ blog - 今と昔のノートブック

今の記録は情報提供。昔の記憶は話題提供。気ままに記します。

人が月の裏を想定してしまうのは

ぺーバーバックで発売された村上春樹「女のいない男たち」の英訳本。2ヶ月前に入手し、読み始めたことは記事にしました。短編集なのですが、すべて面白い。

 

 

上で紹介したDrive My Car も秀作ですが、最終章の Men Without Momen もなかなか魅力的な作品。緊迫した出だし(夜中に元彼女の自殺を現夫が伝える電話)で始まるも、いつの間にか語り手の回顧に転じ、あちこちの寄り道に読者が付き合わされる展開。

 

この元彼女は elevator music(あるいは musac)の愛好者で、語り手と彼女のプライベートな場面での描写や、その彼女と14歳で出会っていたらと語り手が仮想する部分などかなり面白いのですが、今回はちょっと違う角度から、ちょっとだけ中身に入ります。

 

それは、話の中ほどで語り手がどうストーリーを進めるべきか逡巡しているところ。手元には英訳しかないので、それを借ります。

 

I'm not exactly sure what I'm trying to say here. Maybe I'm trying to write about essence, rather the truth. But writing about an essence that isn't ture is like trying to rendezvous with someone on the dark side of the moon.

(ここで言いたいことが何なのか、実は自分でもハッキリつかめていない。多分言いたいのは、真実と言うより本質のほうだ。でも、真実じゃない本質について書くなんて、誰かと月の裏で会おうとするようなものだ。)

 

なんだか分かるような、分からないようなモノローグ。「月」が村上ワールドではキーワードの一つであることは 1Q84 でお馴染みです。そして今回はその裏側。意味するのは、合理性の呪縛からの開放、といったところでしょうか。

 

話は変わりますが、最近、改めて聞き惚れているのがキリンジの「エイリアンズ」(2000)。かなりの名曲です。ネット上ではその歌詞の深い意味を巡って、同性愛を歌った説などなど、解釈が盛んにおこなわれています。

 

 

やっぱりその歌詞のなかで登場するんです、「月の裏」が。それはこの部分。

 

まるで僕らはエイリアンズ

禁断の実 ほおばっては

月の裏を夢見て

 

歌われているのは「月の裏だったらこの関係も許されるのに...」的な思いです。ここでは月の裏側が、合理性の開放の域を超え、人としての存在そのものを解き放つはずだ、といった志向が伝わってきます。同性愛説もその線ではすごくうなずける。

 

話は飛躍しますが、人が普通に生きるのって、本来そんなに簡単ではないのではと最近感じてます。陰と陽、ハレとケ、表と裏、本音と建前などなど、バランス感覚を強いる指標が時代ごとに言語化されるのもそのためではないかと思います。

 

でも理屈に収まらない思いとか、存在自体を揺るがす事態に直面したとき、人がやれることの選択肢は案外少ないのではないでしょうか。大概は現状を我慢するしかない。状況に自分が折り合いをつけるしかない。

 

でも、フィクションとか、音楽とか、芸術の力を借りると状況はだいぶ違ってくる。深淵の極みを想定し、その力を借りて現状打破やご破算を志向できるからです。というか、そういった営み自体も人間に備わったバランス感覚なのでしょう。

 

月の裏側人間解放区説から、話がずいぶん飛躍してしまいました。