dods’ blog - 今と昔のノートブック

今の記録は情報提供。昔の記憶は話題提供。気ままに記します。

インパクトのあった英語の勉強

英語の学習法について書かれたものは実に多いですね。それ無理でしょ、と言いたくなる正攻法から、えっ?それだけ、的なマユツバものまで数知れず。ある程度の努力は不可欠と割り切って、たくさん読み、聴くよう心がけています。

使わなきゃダメ、多分これも正しい。でもこれからの話は、勉強方法とか、どう使うかとは少し違います。それ以前の話、と言ったらよいでしょうか。英語を勉強するうえでものすごくインパクトがあった経験なので、ここで紹介させてください。

もう20年も前のことですが、カルチャーセンターに英作文のコースがあったので通いました。英作文といっても和文英訳ではなくいわゆるcreative writingのほう。毎回エッセイを書いてゆくのですが、最初はまずエッセイを日本の随筆と捉えて沈没。

確か香川でさぬきうどんを食べた話を書いたら、講師のG先生(アメリカ人)にたくさんダメ出しをもらいました。やりとりの詳細は忘れましたが、要はargumentative edge、議論を呼び込むような鋭さに欠けている、と言われたように記憶しています。

それから、これは他の生徒とG先生とのやり取りで鮮明に記憶しているのですが、cause and effect、原因と結果がつながっていないと指摘。でもguessできるはずとの反論には、guessに頼ろうとするのが日本人の特徴だよ、と切り返してきました。

今考えると、大人が他人に何かを伝える前提には、言いたいこと、書きたいことがあるはずで、それが効果的に、説得力を持って伝えられるよう、言葉の勉強をするんだとG先生は言いたかったのでしょう。

そんなG先生ですが、自分はrhetoric、修辞学とか弁論術の正統な教育を受けていない。小さいころからそれを鍛えるのがイギリスだ、と言ってました。修行者のような眼でそう言うのを、上には上があるものだと恐れ入った記憶があります。

文化相対主義の立場からは、そういった西欧流のスタイルのみを良しとするのは間違っているとの反論もありましょう。英語を勉強しているが、魂まで売渡すつもりはないぞ、と。

わかります。でも、G先生流でエッセイを書いて褒められたときの喜びも忘れません。きっと、外国語の勉強にはその言葉の土俵に素直に入ってゆく必要があるんだと思います。私はG先生に感化され、素直にその土俵に入って行けました。