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dods’ blog - 今と昔のノートブック

今の記録は情報提供。昔の記憶は話題提供。気ままに記します。

牛乳ビンのフタ

昭和40年代半ば、小学校2年生のほぼ1年間に渡り、爆発的に流行ったのが牛乳のフタ集めでした。

f:id:dods:20160220234352p:plain牛乳瓶 - Wikipedia

その頃の牛乳はすべてビン詰め。紙のキャップで閉じられ、さらにビニールで覆ってあるのが基本スタイル。ビン牛乳は今でも観光地とかで見ますし、スーパー銭湯の瓶入りフルーツ牛乳は息子も愛飲しています。給食で毎日飲んだのもちろんビン牛乳でした。

最初は自分達が飲んだ雪印牛乳のフタを地味に集め、それをメンコ遊び(当地ではメンコと言わず、パッチと言った)に興じてました。手持ちの数が勝敗に直結するためか、フタをたくさん集めようと、給食室に忍び込んでゴミのフタを大量に集めたヤツがいて、問題になりました。発覚前、その子はどや顔で、ミカンとかを入れる赤いネット袋一杯にフタを持っていたのを思い出します。

ところが状況は一変します。ある時からフタの数よりも中身に関心が移ったのです。きっかけは誰かがまだ使われていない牛乳のフタを手に入れたこと。そのパリパリ感にこぞって感動し、その後は一斉に未使用フタの入手に走りました。同時に、牛乳のフタはメンコ遊びの道具から、純粋にコレクションの対象となりました。

f:id:dods:20160220235050p:plain昭和日常博物館

フタに明記されている雪印牛乳札幌工場宛てに、「新品の牛乳のフタを送ってください」と生まれて初めてのビジネスレターを書いたことを思い出します。ところが、いかなる経路で入手されたのか、その後クラス内には市外、道外の新品フタが流通し始め、フタの状態や産地、デザイン性などから小2なりに格付けして交換されました。

今から考えると、この流行は自分のクラスや学校にとどまらず、かなり広範囲で交換、流通されていたのでしょう。でないと、日常の行動範囲は自転車で行ける所までの子供たちが全国津々浦々の牛乳のフタを目にすることができたとは思えません。ネットをのぞくと、新品フタ集めが時期を問わず各地で流行っていたことがうかがわれます。

自分にとっての真骨頂はコレ。どうしても読めない漢字の住所が書かれたフタを、担任の田上先生のところへ持って行って読んでもらったところ、「これ、沖縄の那覇って書いてあるぞ」と驚いてくれました。訳知り顔で他県の牛乳のフタを交換している小2の姿は滑稽で、ほほえましかったことでしょう。