dods’ blog - 今と昔のノートブック

今の記録は情報提供。昔の記憶は話題提供。気ままに記します。

街の中華料理店

中華料理のお店と言えば赤を基調とした店構え。嫌いではありません。特に寒くなってきたこの時期、たまたま通りかかるとじんわりと暖められる気がして。

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 2017.12.10 Fujifilm FinePix F10

 

shirin-yoku がブームと聞いて考えた

英語勉強しなくちゃ、と迫られる思いをしている方は少なくないのでは。自分にあった勉強、というか英語に接する機会を保つのはなかなか大変なこと。これなら続けられる、と思えるものに出会えた方はラッキーです。

向上度はさておき、podcastで録りためた英語番組を聴いてゆくのは自分には不思議と苦にならず、もう10年以上続いている勉強法です。たまに、新しい番組を開拓したくて、itunesのストアで検索します。

最近みつけたのが、カナダの国営放送CBCのOntario Morningという一部地域の朝のニュース番組。CBCは日本のNHKみたいな存在ですが、ローカル局を含めて多くのpodcastが配信されているのが大違いです。

 カナダ英語は実に聴きよく、分かりよい。米西海岸の英語に似ているかな(ソース無し)。10年以上も前になりますが、米国3大ネットワークの一つ、ABCのWorld News Tonightのアンカー、トロント出身のピーター・ジェニングスもそうでした。

そのCBC Ontario Morningで今人気のshirin-yoku(なぜかnが欠けている。もちろん森林浴のこと。英訳はforest bathing。そのまんま)が紹介された番組があり、何を言うかと聞き耳を立ててしまいました。

https://podcast-a.akamaihd.net/mp3/podcasts/ontariomorning_20171201_64838.mp3

詳細は上の音声を聴いてほしいのですが、ただの森林浴にずいぶん深淵で、哲学的な意味が盛られていうよう。文明の利器とは遮断されたところで低速で歩いてゆくことが単なる森の散歩とは違います、なんて説明されていも、今一つピンときません。

でもよく考えてみると、外国由来の文化をありがたがる日本人の私たちの方が多くのな場面で陥っていることを、たまたま逆照射されただけ? とも思えてきました。

端的な例は思いつきませんが、例えばスターバックス。日本ではお洒落なカフェの代名詞ですが、元祖、本家のお店では今はどうなのでしょうか。知りたいところです。

 

 

日曜日、買物帰りの夜道にて

寒くなり、日が暮れてからの外出は速足で帰りがち。最近はカメラを持参していることが多いのですが、「これを撮るか、早く家に帰るか」の選択肢に迫られます。

そもそも、何か確たる方針を抱いて撮影に出かけるのとは対極の、その場での思いつき最優先のカメラマンなので、撮ったはいいけど、それをどうブログに載せようか、いざ投稿の段階で、うじうじ考えてしまいます。

とりあえず今日、買物帰りの自分に響いたのは2場面。一つは近所の居酒屋さんの活況。相変わらず立ち飲み系も繁盛しているようです。たまたま通りかかったお店の、提灯デコレーションがよくて写しました。

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 2017.12.03 Fujifilm FinePix F10

 もう一つは、すぐその先の公園で、黄色に色づいたイチョウの葉っぱが街頭に照らされてなかなか素敵だったところを写した写真。

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 2017.12.03 Fujifilm FinePix F10

 本当は黄色く色づいたイチョウの木が街頭に照らされてキレイだった、という報告なのですが、なんだか青々した葉っぱが落葉している変なイメージとなってしまいました。出たとこ勝負の思いつきカメラマンに免じてお許しを。

ストリートビューのとっても私的な楽しみ方について

今日は一日中休みなので、朝からのんびり過ごすつもりでした。結果的には、10時くらいまではそんな感じでだらだらと、そのあと参加グループの「写真・カメラ」を見ていて、いつものゲームが始まってしまい、一気に午後のこの時間(ただいま12:30)。

いつものゲームとは、掲載された気になる写真のうち、どこで撮ったのかヒントのない街中写真を、Googleストリートビューを使って撮影地点を探し当てる、まあとても私的な暇つぶしです。

でも意外とこれがハマる。画像のほんのちょっとしたヒント(大抵はお店の看板とか)で検索をかけ、目星がついたら地図(やはりこれもGoogle Map)で通りの交わり具合などを確認して候補を絞り込んでいくうちに、時間はあっという間に過ぎてしまいます。

今日も投稿のあった名作を利用させてもらい、ああ、これは鶯谷駅の近くの通りなんだとか、十日町市のお祭りの風景なんだとか、わかって満足していたところです。

これまで超難関だったのは、毎日札幌の街角から写真つきでブログを投稿される経営コンサルタントの方の写真。写真は必ず同じアングルで季節だけが変わってゆくという、とても素敵なブログなのですが、その撮影地点の特定は大変でした。

自分の故郷だし、すぐわかるだろうと高を括っていたら、わかるのに一週間以上もかかりました。

投稿される方に決してご迷惑はおかけしませんので、これからも皆さん、私のために難問写真を投稿してください。

 

この読書体験で「クライマックス」なる語の新解釈に至る

日曜から佐藤正午の新作「月の満ち欠け」を読んでいます。新作と言うには語弊があるかもしれませんが(実のところ、やっと図書館から予約図書が回ってきて読めた)、自分とってはあくまでも大ファンの新作です。 

月の満ち欠け 第157回直木賞受賞

月の満ち欠け 第157回直木賞受賞

 

 残りあと四分の一ほど。進むにつれて、舐めるように読んでしまいます。これから読まれる方のため、ネタバレする気は一切ありません。ただ「瑠璃」を巡る物語とだけ、紹介しておきましょう。

それよりも、読めば読むほど濃密になるこの段階、つまりクライマックスに近づいて来た今さっき、こんなことを思いました。

もしかしてこのクライマックスっていう言葉、最高点などという静的な意味ではなく、頂点(max)に登りつつある(climbing)状態を言っているのではないのか?

まあ、一見もっともらしいけど語源的にはナンセンスな俗流の解釈です。それでも我ながら上出来と思ってしまったのは、非現実な世界をあまりにもリアルに描いた「月の満ち欠け」の作風が少なからず影響しているかもしれません。