dods’ blog - 今と昔のノートブック

今の記録は情報提供。昔の記憶は話題提供。気ままに記します。

大寒の日のお花屋さん

土曜日ですが、午前中は職場で会合。でも午後には帰宅し、家族のお昼ご飯を調達しに近所のお弁当屋さんへ。お弁当を調理してもらっている間、向かいのお花屋さんにキレイに並べられたお花が良かったので撮りました。

 

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 2018.01.20 Fujifilm FinePix F10

 

どれだけお花屋さんが春めいていても、やってくるお客さんは完全防寒という、大寒の風景でした。

 

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 2018.01.20 Fujifilm FinePix F10

サバにまつわるいくつかの話題

塩サバ。ただ焼くだけで自分はおいしくいただけるのですが、子供らには不評のよう。そこでうちの奥さんは最近、カレー味で焼いています。それはそれでおいしいのですが、最近新調されたカレー粉の香りの強いこと。翌日まで家中香りが残ります。

 

カレー粉はもちろんS&Bのもの。ところで今ちょっと調べたのですが、みなさんエスビー食品の社名の由来、ご存じですか? 公式見解は二つあるようで、どちらも素敵なエピソードです。お知りになりたい方は下をぜひ。

エスビー食品 - Wikipedia

 

そろそろ本題へ。休みの昨夕、見るともなしに見ていた番組がテレビ朝日の「世界が驚いたニッポン!スゴ~イデスネ!!視察団」。こういった長い番組名とか翼賛的な内容、タレントさん達をひな壇にズラリと並べる最近の番組づくりには辟易です。

 

ただ、この日やっていてた「ニッポン視察団スペシャル 日本人が知らない!?NIPPONのニュース」の話題の一つ、「GEISHA」は面白かった。流れたVTRに釘付けとなり、今日の記事を書き始めた次第です。その内容を要約すると...

 

日本のナイジェリア食料品店で常に品薄となるのが缶詰のGEISHA。もちろん本国でも大人気の缶詰。何の缶詰かというと、それはサバのトマト煮。サバの味付けとしては国内向けではないので、輸出製品として出荷を始めた(何年からかは聞き損ねました)。

 

今なら日本で売り出してもいけるのではと思います。ところで、VTRで何度か映されたこの缶詰。サバは英語で mackerel ですが、フランス語表記 maquereau の缶詰もときどき出てきて(下図参照)、こっちの記憶もあいまいに。

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Geisha Canned Mackerel Fish | Jale Basket

 

そこで手近にあった電子辞書でサバの綴りを調べていたら、サバの語源について次のような記述がありました。

おそらく中期フランス語 maquerel「売春の仲買人」と同じ語。この語は中期オランダ語 makelare 仲介人(音位転換による; makelen「寄せ集める」より)から由来。(ランダムハウス英和大辞典)

 

番組では GEISHAのネーミングについて、外国人には日本といえばフジヤマ、ゲイシャで、その絵や写真が外国人には人気だったから、と発売元の川商フーズさんの説明が紹介されていました。

 

でも、サバの語源を知ってしまった私には、その奥に、もしかして隠された意味もあるのでは...と勘繰りたくなります。

 

でもそれは、どうやら下種の勘繰りでした。あれこれ調べて分かったのですが、そもそも GEISHA ブランドの始まりはサバ缶ではなく、1911年に外国人向けのお土産としてタラバガニ缶詰のパッケージに付けらたのが始まりのようです。詳しくは下のサイト。

沿革|川商フーズ株式会社

 

ついでに言うと、(自分も含めて)川商フーズさんには馴染みのない方が多そうです。実は、この GEISHA 缶詰を作ったのは合併前の、ノザキのコンビーフで有名な野崎産業さんでした。現社名は1999年に川鉄商事との合併で生まれたとのこと。

 

ノザキのコンピーフの看板は幼い頃、国道の電柱に等間隔で貼られていたのをよく見ていました。そんな画像はないかと探したのですが、全国区では電柱ではなく、鉄道の鉄柱に出現していたようですね。

 

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ノザキのコンビーフと- 8時ちょうどのスーパーあずさ5号 - Yahoo!ブログ

 

最後にもう一つサバにまつわる話題。インターネット関連で、サーバーの事を「鯖」と呼ぶことがあるのはある時期に気づきました。ちょっと生臭い気もしますが、一種のシャレですね。

 

それと関係があるのでしょう。今日初めて知ったのですが、わが Hatena が新世代のサーバー管理・監視サービスを開発したらしく、その名も「マカレル(Mackerel)」とのこと。

 

確かにシャレは効いています。でも専門外なので、このマカレルを誰がどう使うのか想像もつきません。

 

 

羽田は東京国際空港(成田は新東京国際空港或いは成田国際空港)と言うらしい

今朝は仕事で羽田へ。ついでにちょっと調べたら、名称についてはタイトルの通りらしいです。ともかくも、大きな資本を動かし建てたターミナルは、建造物としても大変興味深い。

 

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 2018.01.11 Fujifilm FinePix F10

 

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 2018.01.11 Fujifilm FinePix F10

 

時間に余裕があったので、第2旅客ターミナル5Fの展望デッキにも行ってみました。見える風景はこんな感じ。写真には写ってませんが、欄干のあちこちでスズメが遊んでました。

 

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 2018.01.11 Fujifilm FinePix F10

 

でも自分としては、この時間(平日午前10時ごろ)に展望デッキにいる方々(自分も含め約4人)の方に興味関心が芽生えてしまいました。まあ、それぞれいろいろな事情があるはずで、できればその事情を聞きたいところ...

 

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 2018.01.11 Fujifilm FinePix F10

ビル・エバンスは終始うつむいていた

時間に余裕があると、二つの遡りをしたくなります。ひとつは、今住む場所を軸にして、ここの昔は? を遡る作業。もう一つは、今の自分を軸にして、遠くの過去をストレートに遡る作業。まずは前者。

 

今の家に住み始めて6年になります。我が家の前の通りはかつてのメインストリートだったらしく、通りの旧名が周辺のマンション名とかに名残を残してます。でも、更地に我が家を建てる前、ここは何だったの? は古い地図を見てもよくわかりません。

 

ネット時代、本当に相当なことが調べられます。今回使ったのは、ネットの電話帳 - 住所でポン!  というサイトで、町名単位で電話番号とその所在地が過去のデータも含めて分かります。我が家の所在地は、かつて、有名な骨董屋さんだったと分かりました。

 

後者の遡りについては、我がブログのサブタイトルが「・・・昔の記録は話題提供」とうたう通り、自分の性癖というか、正体というか、無意識に日々やってしまっている作業でして、取り立てて主張するまでもなかったかな? と少々反省。

 

でも今日の本題はこちらの方。高一の次男がジャズにも多少関心が芽生えてきたのか、プレーヤーの話を最近たまにすることがあります。ピアニストで影響力があったのは誰なのか、といった難問を突き付けられ、途方にくれます。

 

まあ、ビル・エバンスは入るでしょう。そんなやりとりをきっかけに、かつて熱中して聞き、アルバムもたくさん買ったビル・エバンスが、youtubeとかではどうなのかと探ってみたら、予想通りいっぱいありました。

 

Waltz For Debby とか Portrait in Jazz のアルバムをそっくり公開しているものもありますが、ちょっと驚いてしまったのは、演奏そのものが記録された1960年代のモノクロ動画。何に驚いたかと言えば、ビル・エバンスの演奏スタイル。たとえばこれ。


Bill Evans-My Foolish Heart

 

Waltz For Debby の一曲目で聞いたことのある方も多いと思うのですが、この動画でビル・エバンスは終始うつむき加減に演奏しています。「首を垂れて」と言った方が正確かもしれません。他の動画も見ましたが、多くはこんな感じの演奏。

 

アルバムの表紙に見るところ、ジャケットにネクタイ姿が印象的だったビル・エバンス。神経質そうな印象もありましたが、あんな風にピアノの弾いていたのだと、やっと今になって知りました。

 

鍵盤すら見ることなく、10本の指から繊細なメロディーが次々の紡ぎ出される映像は、アルバム以上に心打たれます。しばらく遠ざかっていた巨匠にこちらも思わず首を垂れてしまった次第です。

 

 

 

佐藤正午「月の満ち欠け」の参考文献で考えたこと

一月ほど前に、佐藤正午の「月の満ち欠け」を読んでいる記事を上げました。読み終わり、直後にもう一度読み直し、という自分にも珍しい愛読ぶりを発揮してしまいました。でも、今日とりあげたいのは、ストーリーが終ったあとの「参考文献」のページ。

 

このページで冒頭に取り上げられているのがイアン・スティーヴンソン「前世を記憶する子どもたち」。これは作中で登場人物たちが何度か話題にしている本であり、当然と言えば当然のチョイス。

 

OEKfanの日々のできごと: #佐藤正午 『月の満ち欠け』

  

調べると、佐藤正午がストーリーの中で登場人物に語らせていた通り、科学的な立場にたって、抑制的に書かれた本のようで、自分も早速読んでみることにしました。

 

でも、今回の記事で言いたいことはそこではありません。この「参考文献」のページには、10年ほど前に自分も読んだ、西研の「哲学的思考」が含まれていて、それに驚き再び読み直してみたことが、今回の言いたいことです。

 

哲学的思考 フッサール現象学の核心 (ちくま学芸文庫)

哲学的思考 フッサール現象学の核心 (ちくま学芸文庫)

 

 

西研氏のこの本を読んだことは確かに記憶がありました。でも、なぜこの本を求めたのかの記憶はおぼろげです。おそらく、それに先立って竹田青嗣氏の著作から、西氏を知り、読むことにしたような記憶があります。

 

今回、大好きな佐藤正午が自著の参考に自分も読んだことのある「哲学的思考」を挙げていたことは、私にとってはかなりのサプライズでした。でもなぜ?、が最初の感想。早速、改めて読み直してみた次第です。

 

結論を言うと、「月の満ち欠け」に「哲学的思考」がどう反映していたのか、わかりませんでした。まあ、現代の小説の神様とも言われる佐藤正午ですから、たとえマニュアルとして用いていたとしても、2重3重に捻って飛躍させ、その痕跡を残すはずはありません。

 

でもかすかに、今回の小説の骨子というか、そもそもの発想の根底のところで、この哲学書と通ずる精神があるような気がしました。

 

「哲学的思考」自体がかなりの力作で(渡邊二郎氏の解説を読むとよくわかる)、一つひとつのテーマを追っていると自分なんかにはとても処理しきれない学術書なのですが、訴えたい問題意識はとてもよく伝わってきます。

 

その最大の部分は、私なりの理解では次のような主張のようです。

 

誰もが了解する大きな真理を持つことが困難な今の時代だが、だから批判に明け暮れ、他者との合意を捨て、個別の道を進むのではなく、他者との交流を通じて領域ごとに真理を求める試みを行うべきだ。その際に大いに役割を果たすのは個々の「意識」である。各自が日々思う場面場面での「意識」を持ち寄り、語り合うことで、合意できる真理に近づこう。

 

この私流の受け止めを、我が愛する佐藤正午も同じくしていたとすれば、彼は「意識」をキーワードにして、次のように考えたはずです。

 

人が日々生きるなかでの「意識」の在りよう、持ちようを、自然科学が築いた真理の体系からすれば非合理、不合理だと片付けられてしまう部分も含めて丁寧に描くことができ、説得力ある提示ができるのは小説しかないはずだ。「哲学的思考」に書かれていることの半分までは小説が引き受けられる。

 

「月の満ち欠け」の参考文献に「哲学的思考」が取り上げらていたことについて、こんな風に勝手に思った次第です。

 

余談ですが、佐藤正午のことも今回あれこれ調べていて、少なからず村上春樹との比較が語られていました。作風から言えば正反対の二人ですが、すごくうれしい。どちらも理屈抜きに30年来のファンですから。